朝日観音 越後三十番札所

昔、和泉の国(大阪)で、一人の武士が海から観音様を拾い上げました。
ある夜、武士の夢まくらに観音様が現れ、「私は病に苦しむ人々を救うため、越後に行かなければならない。そこで明日の夜明けに私を越後の空に向けて投げてはくれまいか。」と頼まれました。

武士は朝早く起き、観音様を空に投げました。

その頃、越後では悪い病気がはやっていました。
ある日、村人が山で薬草を探していたところ、草むらで金色に輝く観音様を見つけました。

さっそくこの場所にお堂を建て、観音様をおまつりしました。そうすると、あれほどはやっていた病気も治まり、それからは、なお一層観音様を大切にしました。



妙蓮寺山門

文政9年(1826年)に建造された山門は、山間山戸二重門とも呼ばれる建造様式で、三条本成寺、新発田宝光寺の山門とともに、浦原三大門として識者の注目を受けています。



桜清水

新津市中村の桜清水は、伝えられるところによると、弘安元年(1278年)中村の鎮守諏訪神社(現在の那加武良神社)再建の際、土取場からわき出したと言われています。当時は、特に飲用水に不自由していた地区なので、その喜びは大変なものであったと言います。

また、ある説には東島の妙蓮寺の開祖日印上人発見して、茶の湯に用いたとも言われています。



白玉の滝

順徳天皇の頃(1210~21年頃)から知られ、雄滝・雌滝があります。
古くは山伏の就業の場でした。



へそ清水

親孝行の権九郎が観音様のお告げで発見したわき水と言われています。
越後酒匠「いのちがけ」の仕入水に使われています。